新明和レストア物語
2009年11月5日、創立60周年を迎えた新明和工業。このたびの復元は、それを記念し、同社寒川工場にて行われた。そもそもなぜこの三輪ダンプの復元に至ったのか…
遡ること数年、同社営業統括本部のO氏が何気なく手にした一冊の本。
そこには、今もなお現役で活躍し続ける川西三輪ダンプの姿が掲載されていた。
「いつかこのダンプと会いたい」
鳥肌が立つほどの感激を覚えた。
しかし現実は最新の技術を搭載したボデーを製作する企業。
三輪ダンプへの夢を持ちながらも、どうすることもできなかった。
2007年、またとないチャンスに恵まれた。
2年後に控えた同社の創立60周年記念事業。
目玉となる企画はないか?
O氏は三輪ダンプの復元を起案し、了承された。
O氏は動き始めた。
しかし車が全然見つからない。人から人、望みがあれば片っ端から声をかけた。
三輪トラックは残っているが、ダンプ架装されたものはまったく見つからない。
時間だけが過ぎ、あきらめかけていた。
探し始めて1年後、広島の山中に眠っているという話が、地元で車販売を営む同社のクライアントから伝えられた。いてもたってもいられず現地に飛んだ。
「やっと見つけた」
だが、状態はひどかった。
ダンプは、荷を運ぶだけのトラックと比較すると
荒く使われることが多い。
長年の風雨にさらされ、錆びつきボロボロだった。
触っただけで崩れてくる箇所もあった。
「復元はダメかもしれない」
そんな思いが頭をよぎった。
しかし、いつか本で見た三輪ダンプの雄姿が脳裏に浮かんだ。
「やれるだけやってみよう」
自社の技術者を信じるしかない。
こうして神奈川県の寒川工場まで運ばれた三輪ダンプ。 その2年後、見事に息を吹きかえすとはまだ想像できなかった。
復元が始まった。
手元にあるのは、昭和36年の架装設計図面が1枚だけ。
同社はシャシの製造企業ではない。
しかし今回の復元はシャシもボデーもすべてだ。
分からないこと、初めてのことだらけでパニックの連続だった。
シャシに関するノウハウがないため、マツダからの協力を得、借りた資料をもとに懸命に取り組んだ。
だが、技術者たちは自分を信じた。終業後や休みの日を返上し取り組んだ。
「きっとできる」
40年以上経った今でも、川西製ギアポンプや油圧シリンダーはしっかりと生きていた。復元への想いに更に火が点いた。
真夏の炎天下、解体、パーツの掃除、磨き上げなどできることはすべてやった。
そうするうちに復元された車のイメージが頭に浮かぶようになった。
しかし車の状態は悪い。
どうしてもダメなパーツは一から作り直したり、フロントガラスやヘッドランプなど自作できないパーツは、別の三輪トラックから調達した。
最大の難所はエンジンからタイヤを回すまでの復元だった。
しかしボデーの再生は得意とするところだ。
この車を走らせたいという思いが一つになっていた。
バラバラの部品たち。
キャブ、足回り、ダンプボデー、油圧装置…
1つ1つが再生され、形を取り戻していく光景は圧巻だった。
復元を開始して2年、最後のパーツ、川西のエンブレムが取り付けられた。
エンジン音が工場内に響き、ボデーが最大角53度にダンプアップしたその時、
川西三輪ダンプは長い眠りから目覚めた。
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- 会社名
- 新明和工業株式会社 http://www.shinmaywa.co.jp/
- 代表者
- 取締役社長 大西 良弘
- 設 立
- 1949年11月5日
- 資本金
- 15,981,967,991円
- 取扱製品
- 飛行艇、航空機コンポーネントの改造・修理作業
環境・建設・物流関連各車両
ポンプ・関連製品、真空装置、自動機器、空港用設備
ビルごみ回収システム関連、ごみ中継・選別関連
ごみ再資源化・ 処理関連機器・システム - 従業員
- 連結 3,782名 単体 1,970名
- 本 社
- 兵庫県宝塚市新明和町1-1