運送事業者レポート

運送事業者、荷主における新たな取り組みや成功事例にスポットをあてたインタビュー記事。(毎月第1週に更新)

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【第29回】 エアーポート物流株式会社(宮城県岩沼市)

東日本大震災に負けず着実に再起を図る

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早いもので東日本大震災からすでに2年になる。世間では震災直後のような関心が薄れ、風化しつつあるのではないかといった観もある。そこで、大震災による津波で事務所が全壊し、震災前に35台あった車両のうち18台が被害に遭いながら、現在は30台にまで復興した事業者を訪ねた。この事業者はエアーポート物流(宮城県岩沼市、髙橋正浩社長)で、本社は仙台空港の敷地にほぼ隣接した場所にある。

テレビのニュースなどで当時、津波に襲われた仙台空港の映像が流されたが、同社も全く同じ状態だったのである。本社の社屋は全壊し、事務所内の機器や備品なども総て流失し、車庫にあった18台の車両が全滅した。主たる業務がフローズンやチルドなどの食品輸送なので、地震と津波の発生時には仕事を終えて車庫に止めてあった車両が多かったため、被災した車両も多数にのぼったのである。また、残念ながら40人以上いた従業員の1人が犠牲になってしまった。

地震が発生した時に、髙橋社長は名取市の方にいた。心配になりやっと午後3時ごろに会社に戻ると、事務所にいた運行管理者1人と事務の女性社員1人は無事だった。地震の大きな揺れで事務所の中は散乱した状態だったが、大丈夫だろうと思ったという。だが、社員の1人から大きな津波が来るという話がはいり、2人の社員と社長は事務所から逃げた。運行管理者は全員で3人いて交代勤務になっている。その運行管理者の1人が一度は家に帰りながら再び会社に戻ってきたために犠牲になってしまったのだという。

津波の第1波がきたのは午後3時56分で、事務所は全壊し中のものも全部流されてしまった。会社がどうなったかを確認しようとしても、水や泥が残っていて震災発生後の2日間は近づくことができなかった。やっと事務所に戻れたのは3日後だが、来てみると何もない状態で、その時の気持ちは「あらら…」(髙橋社長)としか表現できなかったという。

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現場の惨状を見ながら、「すぐにどうしたら良いかと考えた。ここで無くしたら、これまでのものを総てを失ってしまう」(髙橋社長)という思いが強かった。会社に来ることができるようになった3日目には、無事だった社員全員が集まってきた。髙橋社長は事務所に近づけなかった2日の間に、社員は一時解雇の形にして手当などが早く支給されるようにしなければならないだろうと考えていた。

同社は荷物と車両とドライバーがほぼ専属的な形で業務を行っていたので、荷主の関係などで仕事ができない人などは一時解雇という形にしてもらい、手当などが早く支給されるような手続きをしたのである。また、泥のかたづけや、流されてしまった車両の回収など復旧関係の作業もあった。津波で流された車両の中には、会社から1㎞ぐらい離れたところにある航空学校の校庭で見つかったケースもあるという。

このように本社の車庫に止めてあった18台の車両は全滅だった。

被害に遭ったのは大型車2台、7t車1台、4t車11台、2t車4台である。酒田営業所の4t車5台と、関東営業所の2t車2台、4t車3台は大丈夫だったが、本社の25台のうち残ったのは大型車1台、4t車6台の合計7台だけである。いずれも仕事中で事務所から離れていた車両が助かったことになる。だが、秋田から帰り荷を積んできたトラックは、納品するセンターが被災したために荷物を受け取ってもらえず、本社にも近づけないために、やむなく近くの駐車場に止めていたら荷物が盗まれた、という被害もあったようだ。

震災後も酒田営業所や関東営業所の方は、スムースではなかったものの、さほどの問題もなく仕事があったという。地元の荷主のなかには被災して動けない状態の取引先もあったが、動いている荷主に対しては残った車両で対応するようにした。取扱商品が食品であり、また、地元発よりも地元に入ってくる荷物が主だったことも幸いしたといえる。

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もちろん震災直後は地元の荷主も被災していたので、少しずつ動きだしたのは10日過ぎぐらいからであった。そして、20日過ぎぐらいからは、車が揃えられないかといった荷主からの問い合わせが来るようになったのである。このため本社に残った7台では車両が足りないようになってきた。

同年8月に本社の敷地内に事務所を再建して電話も敷いたが、その間は名取市に仮事務所をおいて仕事をしていたのである。軽油は荷主からの緊急輸送物資の制度を利用して確保したという。資金繰りは銀行からの借り入れや様ざまな制度も活用して、少しずつ中古車を揃え、それに合わせて社員も再雇用してきた。関東営業所は昨年7月に閉鎖したが、現在は本社が10t車3台、4t車13台、2t車9台の計25台、その他に酒田に5台で合計30台にまで戻してきた。

このようにエアーポート物流では、震災に負けることなく、前向きに意欲的に取り組んでいる。

<物流ジャーナリスト 森田富士夫>