運送事業者レポート

運送事業者、荷主における新たな取り組みや成功事例にスポットをあてたインタビュー記事。(毎月第1週に更新)

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【第13回】 株式会社マキノ運輸(宮城県気仙沼市)

震災被害にめげず着々と再建を進める

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震災前の事務所跡地

東日本大震災で会社の事務所が全壊し、保有車両33台(全車両冷凍車)のうち16台を失ったマキノ運輸(宮城県気仙沼市、牧野正久社長)。大きな被害に見舞われながらも牧野社長は会社再建を決意。仮事務所を拠点に6月下旬から事業を再スタートした。大型車1台を除いては、残された車両がすでにフル稼働の状況で、中古の4t車3台を購入し、11月には20台態勢にまで戻す見通しだ。

いち早く事業再建に立ち上がることができたのは、取引先や従業員(全員無事だった)に恵まれたこともあるが、主体的条件としては「内部留保があったから可能だった」(牧野社長)のである。

自宅も全壊した牧野社長は、被災直後には「企業も含めて、もう終わったと思った」という。家族は全員無事だったが避難生活を余儀なくされ、何カ所かを転々とした。だが、その間も牧野社長は毎日、全壊した事務所跡に通っていた。中小企業のオーナー経営者とは、そのようなものである。

それは従業員たちも同じであった。誰かに誘われたということではなく、何もない会社の跡地に、おにぎりと水を持って自然と集まってきた。「社長が来ていると思って…」。「会社の誰かに会えると思ったから…」。みな同じような思いだったのである。

創業当時を思い出して、あんな苦労は二度としたくないと思ったが、「従業員の姿をみると、やるしかない、再建するぞ」(牧野社長)という決意がわいてきた。そこで3月20日に36人全員を集め「俺は会社を再建する」と宣言した。

とはいっても全員をいったんは解雇し、雇用手当てがすぐにもらえるように手続きをする。再建の進捗状況に応じて「必ず声をかけるから、やる気がある人は戻ってきてくれ」と話したのである。携帯電話がつながるようになると、荷主からも「車両が動かせない間は、一時的に他の事業者に仕事を出すが、車が稼働できるようになったら、また、お宅に仕事を頼む」というような連絡が入るようになった。

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現在の事務所

だが、実印も通帳も何もかも流失し、売掛金や買掛金などのデータも残っていない。このような状態からの第1歩だった。仙台や大崎市の銀行支店に足を運んで融資の手続きをしたり、従業員の雇用手当ての手続きなど、事案を1件かたづけるのに3日がかりといった状態だったという。

今度は高台に6月から土地を借り、プレハブで8.2坪の仮事務所を建て、仕事を開始したのは6月下旬からである。電気や電話が通じるようになったのはもっと後だったが、その間は携帯電話を使っての仕事である。

実際には3月下旬にはすでに何台かのトラックが稼働していた。仙台から三陸ラインに配送する積合せの荷物で、震災以前に行っていた定期的な仕事である。一からの再スタートだが、創業当時とは違い顧客、資金、信用などがある。それは震災以前に内部留保をもって財務強化できるような経営を心掛けてきたからである。同社がいち早く再建に着手できた理由はそこにある。

同社の設立は1988年で、当初は生の水産物を東京などの市場に運ぶ単純運送を行っていた。だが、後発の事業者が他社と同じような仕事をしたのでは競争が厳しく難しい。一方、荷物はだんだん小ロット化し、積合せも認められるようになった。

そこで、当時はまだ少なかった冷凍車を導入し、競争が比較的少ない山形や新潟、北陸方面に、気仙沼から宮古までの水産加工品の積合せ輸送を始めた。やがて新潟から仙台への帰り荷も開拓できた。次には、仙台からフローズンやチルド商品を積合せて、石巻から宮古までの三陸ラインの問屋、コンビニ、スーパー、牛乳販売店などに納品する共同配送をはじめた。

荷主を開拓して荷物が増えた結果、さらに独自の仕組みを構築した。気仙沼に拠点(仕分け場)をおき、仙台から気仙沼間の配送先には納品しながら気仙沼まで運び、気仙沼から以北の配送先には気仙沼の拠点から配送コースを組んで納品する、というシステムである。

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車両のフロントには『もう来んな津波』のステッカー

このような経営をしていたから、他社と同水準の運賃で仕事を請けても適正利益を得て内部留保も可能だったのである。再建のためには資金調達が不可欠だが、内部留保があったから再建計画を立てることもできた。

三陸海岸沿いの水産加工会社のほとんどが、まだ復興の見通しすら立っていない。地元発の荷物はほとんどないが、仙台などから入ってくる荷物で忙しく、残された車両がフル稼働するまでに回復してきた。

同社は現在の事務所で今後も事業を行っていく方針で、今年度は従来の荷主への対応に徹する。そして来期には、今後の基本方針を打ち出す予定だ。

自然災害はいつ、どこで起きるか分からない。牧野社長は自身の体験から、①できれば津波その他の危険性の少ないところに会社をおくこと。②災害に備えて従業員と家族を守るための対策と判断。③企業として利益を出し、納税して内部留保を持てるような経営をすること、などを全国の同業者に訴えたいという。

<物流ジャーナリスト 森田富士夫>